河村啓生『NOTE「彫刻から考えること」2010.11.13-12.05 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)』

 京都市立芸術大学大学院在学中の河村啓生さんの作品を観るために行ってきました。
 京都市地下鉄二条城前駅そば堀川御池の京都立芸術大学ギャラリーで開催中です。
 彼の作品は昨年の大阪芸術大学芸術計画学科卒業制作の資料を観ました。
 作品そのものを観る機会を逃したので今回はどのような変化をもたらしているかも含め観ようと向かいました。
 作品のブルーの照明が階段と会場ギャラリー外に設置されていました。
 はじめ階段の作品は素通りしてしまい彼の作品とは気付きませんでした。
 またブルーではなくブラックライトだと思いこんでいました。
 この照明はある一定時間で消灯するようになっています。
 これには理由があります。その理由はこの照明がブルーなのも関係しています。
 とあるダムでは自殺者が急増しているためそれを阻止する効果のあるとされているブルーの照明が設置されているそうです。
 その装置と同じ照明を彼なりに作品として再構成し今回の作品になったそうです。
 彼の作品は理路整然としすぎているために作者本人の意図と作品に距離を感じてしまいました。
 作品としての完成度は高いと思うのですが、それが作者本人が意図したメッセージが鑑賞者に伝わるかどうかはかなり難しいと感じました。
 鑑賞者によってはクラブに入るまでにブッラクライトで演出された階段にしか見えないかもしれません。
 階段を上りきるとそこは暗幕で仕切られているため作品から出たことを鑑賞者に意識させます。
 けれど1階の展示室から出た先にある階段に入る時点では暗幕も説明もありません。
 このため鑑賞者が意識を切り替え作品を鑑賞することに集中するタイミングが非常に難しくなります。
 作者本人にいろいろとお話を聞いて納得した部分とそれが作品に反映されていないのか、と思うところもいくつかありました。
 また作品を避けて通れない体験として、一種の通過儀礼的な行為になる可能性も無意識のうちに作品に組み込んでいるかもしれないということでした。
 空間を光で満たすことに意味があるのか、その光を鑑賞者が視覚的、色彩的に『観る』ことを意図しているのかよく分かりませんでした。
 作者本人の中では作品の整合性はあるのかもしれません。
 ただ鑑賞する側からすると『演出された
空間』としか受け止められず「ただブルーの照明が設置されているだけ」としか見えないかもしれません。
 一方、ギャラリー外に設置されたブルーの照明は歩道を照らし出し奇妙な空間を生み出していました。
 夜間でなければこの効果はほとんど分からないのが残念でした。
 けれど会場内の階段に設置されたものよりも、外に設置された照明の方が作品として観ることができました。
 これはこの作品の元となった『ダムに設置された屋外のブルーの照明』と同じ条件になっていることが理由かもしれません。